妊活『失敗』談

妊活成功者の言葉に疲れてしまった人へ。上手くいかなかった人がここにいます。私のようにならないで欲しいから伝えたいこと。

ご縁をぶった斬ってきた人生に繁栄はない

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠するもすべて流産、

焦って妊活するも失敗した夏祈(なつき)です。

 

私は今まで沢山のご縁をあえて切って生きてきました。

 

 

小学生までは連絡ツールが不足していて繋がりようがなくて、

その後もあまりいい思い出がないからです。

特に高校の部活は、周りに溶け込めなくていつも浮いていました。

 

他の人よりパソコンが使える方だったから、

コンサートのパンフレット作りをメインに担当したり、

他の部員たちとノリが違っても…努力していたつもりでした。

 

でも、私が使っていたソフトの汎用性が悪くて苦労しただとか、

陰でOB・OGにも文句を言われていたと知りました。

 

悔しくて。

そして、周りから浮いてしまう自分も嫌でした。

 

卒業して、全部連絡先を消しました。

 

社会人になっても、同じことを繰り返しました。

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最近はClubhouseなる音声SNSが流行り始めて、

まるでmixiだ…と辟易しています。

招待する系は乗り遅れて、私は招待してもらえないほうの人間。

 

Facebookはやっていませんし、

TwitterにもLINEにも連絡先連携はしていません。

 

私の年代は親友も含め皆Facebookをやっています。

 

基本皆そっちで連絡をとっているらしく、

グループで私だけ聞いていないことも多々。

あれ?言ってなかったっけ?って。

 

それでもFacebookをやりたいとは思えません。

 

30も半ばになれば、皆親として奮闘していて、

そういうのが溢れていると思うと、どうしても飛び込む気にはなれません。

幸せいっぱいな姿を、自分と比較して辛くなってしまうからです。

 

LINEでさえ、グループを抜けようとしました。

妊娠出産報告が辛いし、地元を離れた私は遊びの連絡も断るばかり…。

なのに、すぐに再招待されて断れず。

 

もっとも、比較なんてしない方が良いに決まっています。

 

でも、現状それができなくて苦しんでいるので、

近づかないのが、自分を守る方法でもあります。

 

 

ただ、ご縁をあえて切るのは良くなかったと思います。

最近YouTubeで仏教の考え方に触れる中で気付いたことです。


「縁」を大切にする生き方

 

ご縁を大切に生きてこなかった私が、

ご縁に恵まれようなどとは…おかしな話。

 

失ってきたものは戻らないけれど、

これからの出会いは大切にしたいと思います。

  

皆さんには、ご縁をあえて切るようなことはしないで欲しいと思います。

子供を迎える家づくりをしなかったこと

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠するもすべて流産、

焦って妊活を始めるも上手くいかず、

子なし人生を歩むことになった夏祈(なつき)です。

 

流産の悲しい想いが染みついた部屋からの引っ越し!って、

相当浮かれていたんだと思います。

 

私たちは、近いうちに子供をもうけたいと考えるなら

まず選ばないような家具を選んでいってしまいました。

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ダイニングテーブル

 

1人用の椅子が2つとベンチが1つの4人掛け。

長く使うつもりで選んだものでした。

 

でも、家族が4人になる気配はないし、

子供ができて成長してから検討してもよい物でした。

 

そして、夫の在宅勤務が増えて自宅の使い方も変わった今、

ダイニングテーブルの半分が私の作業スペースになっています。

そして、部屋を広く使うためにテーブルはべったり壁付け、

ベンチも使わなくなりました。

 

夫婦ふたり暮らしの割に、

テーブルの存在感がありすぎる状態です。

 

 

ブラインド

 

大きな掃き出し窓は普通のカーテンですが、

上部が滑り出し窓、下部が採光用の窓になっている部分を

カーテンではなく、ブラインドにしました。

 

理由は、ただカッコいいとか、おしゃれとか使ってみたいってだけで。

 

子供がいたら、コードもブラインドの羽根も凶器。

子供が欲しいなんて口が裂けても言えない、そんな物を揃えていました。

 

誰にも相談することがなくて、誰からもアドバイスを貰わなくて、

ずっと気が付かないままでした。

 

 

表面上、子供が欲しいと喚き散らしていた私も、

心の底から子供が欲しいとは思っていなかったのかもしれません。

 

言ってることとやってることが違って、

これから生まれようとする赤ちゃんを戸惑わせたんじゃないかと思います。

親が毒親だと『子は親を選べない』という声も聴きますが、

どっちなんでしょうね。

 

池川明さんのこの本に救われたので、

パパとママを選んでくる説は嫌いじゃありません。

写真素材はフリー写真素材ぱくたそ様を利用しております

凶方位に引っ越していたこと

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠はすべて流産、

妊活も上手くいかず、子なし人生に舵を切った夏祈(なつき)です。

 

初めての妊娠は自宅で完全流産

それをきっかけに子供に対する思いは夫婦で逆転し、

子供を欲しがる妻に、ドン引きする夫という構図、

『離婚』という言葉も出る始末。

 

悲しい思いが染みついた家に暮らすことが辛くなり

初めて夫婦で暮らしたアパートは4年弱でお別れとなりました。

 

  • 一人暮らしの家から持ち寄った洗濯機の寿命
  • 夫の通勤時間短縮(乗り換え2回→1回)
  • 日当たり(予想を超えて夏が良く冬が悪かった)

 

等々の理由です。

初めて一緒に暮らして見えてきた部分もありましたし、

夫の職場の移転は読めない部分でした。

したがって非常に贅沢ではあるのですが、夫も納得して決断しました。

 

 

私は無気力な状態に陥ることも多かったので、

とにかく心機一転!改めてスタートを切りたい、そんな気持ちでした。

 

 

この頃は六曜を気にするくらいで、気学なども当てにしていませんでした。

 

日記を読み返すと、素人ながら調べていて、

引っ越し先は私にとって凶方位で、方位除けの年でもありました。

 

それでも大して気にも留めず、ただただ環境の変化を望んで、

方位除けもせずに引っ越してしまいました。

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気学や風水などを調べ始めたのは、

流産を繰り返し不妊治療に行き詰まってからです。

 

何らかのとっかかりが欲しくて、心細くて、

幸運な物や事、占いでも…藁にもすがる思いで。

 

 

後悔先に立たず。

 

凶方位に引っ越した結果、

また流産し、可能性は高いはずだった妊活も失敗、

同時に夫婦喧嘩も3年近く頻発し続けました。

 

大きな決断をするなら、その道の専門家に尋ねたり、

もっと慎重に行動すべきだったと後悔しました。

 

 

もし、これから引っ越しされる方は、

少しだけ方位のことを気にしてほしいと思います。

 

気にし過ぎると身動き取れなくなってしまうから、

少しだけ験を担ぐような気持ちで。

 

 

 

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子供の供養を忘れたこと

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠はすべて流産、

妊活も失敗し、子なし人生に舵を切った夏祈(なつき)です。

 

夏に初めての妊娠流産してから初めて迎える冬。

夫婦の仲も冷え込んでいました。

 

私は初めて家出。

夫の実家をも巻き込む離婚騒動。

 

当時の日記が全て消えてしまったため、詳細忘れてしまいましたが、

 

夫はモラハラ的なところもあって、『出ていけ』とか言われたり、

さらに殴る蹴るは無いけれど、平手で体を押す程度の乱暴がありました。

(今は大丈夫です、念のため。)

 

この頃はまだ、夫自身も仕事を頑張るのが妻への愛情の大きさだという、

親からの洗脳が解けきっておらず、苦しんでいたのかもしれません。

 

喧嘩の度に…仕事の大変さが分かるのか、

俺以上に稼げるんなら稼いでみろよ、とか言われました。

 

私は、夫が仕事に目を向けるばかりで寂しかったのかもしれません。

 

性欲モンスター化していた原因は流産だけじゃなくて、

それ以外の部分もあったのかもしれない…とこれを書いていて気付きました。

 

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そして、大喧嘩になって私が逃げだした先は、

60km先の実家ではなく、その10倍も離れた夫の実家でした。

 

当時は実母より義母を頼りにし、慕っている変わり者でした。

(過去記事参照→義母のようなお母さんが良かった - 妊活『失敗』談

 

とにかく私は、最低の嫁でした。

 

義母は夫婦のことだから、と特に口出しはしてきませんでしたが、

代わりにごめんね、と。

 

 

夫は私が家出しようと、連絡したり迎えに来ることはありません。 

自分は自分、他人は他人。

他人のことには深入りしない、そういう人。

 

私は私で、流産はちょっと生理が重かっただけと思いこむ様に努めていました。

 

傷つきたくない、忘れたい、早く妊娠したい…。

 

来てくれた命を供養することなく、過ごしてしまいました。 

 

水子供養を知るのも、ずっと先です。

 

私には人としての心が欠けていました。

本当に恥ずべきこととしか言いようがありません…。

 

 

 

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私は子供ができなくてよかったタイプ

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠はすべて流産、

妊活も上手くいかず、子供を諦めた夏祈(なつき)です。

 

 

ここで振り返るにつれて、

私は夫との子供を持たなくて良かったと思い始めました。

 

子供がいたら、今はもう一緒に居ないだろうと思います。

子供ができたら、一緒に居られなくなるだろうと思います。

 

 

お互い幼稚で、親になるような素質もない。

子育ての問題を乗り越えられるとは思えません。

話し合うにしても、夫の口の強さに潰されるだけ。

 

大人同士でルームシェア的な暮らしだから、楽しい。

 

 

ただ。

私は今、有り余った母性を向ける先がなくて、

もやもやしています。

 

子供がいないからと言って、夫の母親的役割にはなりたくないんです。

妻失格かもしれませんが…。

 

動物を迎えるのが密かな夢ではありますが…

賃貸アパート、ペット不可、引っ越し予定もお金も無い!

 

遠い遠い叶うかも分からない夢です。

 

 

今はYouTube界のにゃんこ達に癒されています

レモンくん


尻尾とお尻をぷりぷりさせながら飼い主を呼ぶ猫が可愛い!

 

しまちゃん&白猫のポムさん


毎日のように猫が一緒に寝ようとしてくるので困ってます。


ちゃっかり雑誌に特集されるおもち猫!

 

妻としても女としても自信喪失

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠はすべて流産、

妊活も失敗して子なし人生に舵を切った夏祈(なつき)です。

 

初めての妊娠は、超初期完全流産

そこから子供が欲しい!と強烈に思うようになった私と、

子供は特に欲しくない!と言いだした元は子供好きの夫。

 

街中で他人の子供を笑わせようとする夫を

微笑ましく眺めることができなくなりました。

 

なんで他人の子なの!と

夫に対して憎しみが湧いてしまうのです…。 

 

それでも…

夫は昼間にスキンシップや思わせぶりなことを言ってきて、

私を期待させて。

夜は寝るギリギリまでスマホゲームをして、寝てしまう。

 

避けられているとしか思えませんでした。

 

稀発月経で数少ない排卵日。

この頃は基礎体温を測る程度の妊活でした。

 

 

ただ愛情を確かめたくて求めると、

『俺は妊娠させるための機械か何かか!』

排卵日だけ求めていたわけでもないのに怒られました。

 

一度は、流産した妻の身を案じて…?という考えもよぎりましたが、

妻が寝込んでいたとしても通常運行を崩さなかった人。

だから違う、と判断…。

 

 

女として求められなくなり、

夫婦の絆を確かめることすらできなくなって、

 

家事だけやればいいならただの家政婦では…?

 

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私は存在意義が分からなくなっていきました。

 

 

幅広で加えやすい婦人体温計これの旧型を使用していました

 

写真素材はフリー写真素材ぱくたそ様を利用しております

不妊治療開始に立ちはだかった壁

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠はすべて流産、

妊活も失敗し、子なし人生に舵を切った夏祈(なつき)です。

 

私が不妊治療を始めたのは、結婚6年近く経ってからでした。

その間、2回の自然妊娠があって、2回目は手術でした。

もっと早く不妊治療を始めていたら、違う結果を掴めていたかもしれない。

 

でも、夫はずっと不妊治療に反対しました。

 

 

最初の流産は、避妊を止めてちょうど2年経過した時。

夫と約束していた、2年。

 

流産後は妊娠しやすいという噂を聞きつけて、

生理不順かつ稀発月経を理由にタイミング療法を始めたい、と夫に相談しました。

 

でも、『2年以内に妊娠したんだから治療の必要はないだろ』と。

 

次の妊娠も自然に任せていたら、また何年も妊娠しないのでは?

と、怖くなりました(事実、次の妊娠はまた2年後)。

 

でも、治療費は誰が出すんだと言われてしまうと、

収入の少ない自分には何も言えませんでした。

 

さらには、『子供は特別欲しいと思っていない』と。

  

この言葉を言われたときの衝撃は忘れられません。

鉛のように重たい何かが心の底に沈んで、今も小さく影を落としています。

 

あんなに子供が大好きで、家族計画を憚ることなく話していた人が、

仕事がとても忙しくて、子供への気持ちを失っていました。

そして、

流産で性欲モンスター化した妻を冷めた目で見ている…

本当に最悪な状態でした。

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結局、2年後に2度目の流産で手術したあと、

不育症の検査がしたい、もうこんな思いはしたくない!1年だけでいいから、

と懇願するまで、不妊治療を始めることはありませんでした。

 

 

この頃にシリンジ法とか知っていたら良かったな…

 

写真素材はフリー写真素材ぱくたそ様を利用しております