妊活『失敗』談

妊活成功者の言葉に疲れてしまった人へ。上手くいかなかった人がここにいます。私のようにならないで欲しいから伝えたいこと。

一風変わった披露宴にしてしまった話

こんばんは。

妊活に失敗した夏祈(なつき)です。

 

 

私は両親を反面教師に生きてきました。

 

長女だから、お姉ちゃんだから…と、

いい子で頑張ってきたつもりでした。

 

幼い頃は引っ込み思案で、素直すぎて、

危なっかしい故に、過保護がずっと続いて。

 

尊敬する人は?の質問に、

『両親』って答えられる人が凄いと思っていました。

 

成人を迎えてからも、両親はお酒を飲むことに渋い顔

(父親は飲まないし、母親は体質的に受け付けない)。

男の家に行ったら勘当する、という父親の発言もあって、

恋愛の話なんて以ての外。

 

親と他人行儀のまま結婚してしまった私は、

嫁に行くのだから、両親と疎遠でもいい

そんな風に考えていました。

 

逆に義母とは交際期間から仲良くできていたし、

私のことも娘のように良くしてくれて…憧れの存在でした。

 

 

プロポーズ(デート予定)の前日に東日本大震災

 

東京にいて怪我もせず済んだけれど、

余震と地震速報のチャイムに怯える日々がしばらく続きました。

 

婚約期間くらい脳内お花畑になってみたかったけど、手放しに喜べない精神状態で、

周囲にも、こんな時に申し訳ないと謝りながら結婚報告をしました。

 

精神的なダメージは時間が癒してくれて、

秋頃には夫と一緒に暮らし始めることもでき、

震災ショックも薄れていきました。

 

そして、人様の結婚式にも夫婦として招待されるようになり、

感化された私たちは結婚から1年後の挙式披露宴、新婚旅行を決めました。

 

新婚旅行は初めての海外、満喫したい!

 

この頃は、将来子供が産めないなんてこれっぽっちも考えずに、

妊娠したら困るからと避妊して、お気楽なものでした。

 

結婚式の時期になっても両親とは相変わらずで、

遅い反抗期がずっと続いている状態。

 

私は、

両親へ感謝の手紙の朗読をしませんでした

 

 

挙式前に流した、それぞれの生まれてからを振り返る

ショートムービーに想いを込めるのが精一杯。

 

今思えば、新郎が感謝の挨拶などをする一方で、

新婦の私は一切喋らない…変な披露宴でした。

 

 

両親への記念品にネームインポエムを選んだ。

実家の玄関に飾られている。