結果を掴んだ友人との違い
こんばんは。
結婚10年、自然妊娠は2回とも流産、
新生活の波に飲まれ、まだまだペースをつかめておりません。
更新ままならずすみません。
さて、私の母は膠原病です。
体調不良は私が高校生ころから続いていて、八つ当たりされたり、
病名が判明するまでは大変でした。
様々な病気を包括して膠原病と言われますが、母と同じ病気の友人がいます。
膠原病は絶対に妊娠出産できない病気ではありません。
ただ、減薬を行うにあたり、リスクや母体の負担につながります。
いつしか、友人から打ち明けられ、私の母もそうなんだと話しました。
そして、私はなかなか妊娠しないという話をし、
その友人は病気のこともあり妊娠出産については分からない、
そんな話もしていました。
子無しで生きていく仲間かもしれない。
私は都合よく思っていました。
友人とは年1、2回会う位の関係を保っていました。
他の友人たちと一緒に忘年会として冬に会うのが定番でした。
ある年、また来年もよろしくなんて別れ際…
『しばらく会えないかも』的な言葉を口にした友人。
周りの友人も私も、少しお酒も入っていたし、
『なんでそんな寂しいこと言うの~』なんて言ったりして。
それに明確な返答はせず、哀しい顔で笑っていた友人。
それから本当に会うことはありませんでした。
ある時、夏祈ちゃんには先に言っておきたい、とラインが届き、
もうすぐ出産であることを告げられました。
あの、哀しい表情は妊活への覚悟だったんだとこの時に思いました。
友人は私のことを物凄く考えて、伝えるタイミングを考えていてくれました。
他の誰かから出産を聞いて傷つけるくらいなら、
他の誰かよりも一番に、自分から伝えると決めて。
事後にしようか凄く迷った、とも。
私は逆に悩ませてしまって申し訳なく、
傷つくとかより心からおめでとうと、伝えました。
やはり出産後、母体の回復に時間がかかり入院が長引いたようですが、
今は子育てに奮闘しているのが、ラインのプロフィールから伝わってきます。
女だから、って多少なり言われて生きてきたなって思います。
結婚したらいつか産むだろうってずっと思ってきていたから、
そうじゃなくなった時の寂しさは今もゼロにはなりません。
ただふわふわと流されて治療を始め、
楽観視していた私には友人のような覚悟がなかったし、
出産後に長く続いていく子育てをやり抜く覚悟も持てなかった。
それに尽きると思います。
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