妊活『失敗』談

妊活成功者の言葉に疲れてしまった人へ。上手くいかなかった人がここにいます。私のようにならないで欲しいから伝えたいこと。

【男性外来】同意なしの染色体検査

こんばんは。

自然妊娠は2回とも流産し、始めた不妊治療も上手くいかず、

子無し人生を歩むことになった夏祈(なつき)です。

 

初回の人工授精後、気まずいけれど夫に頭を下げ、

精液所見不良の指摘から男性外来に行ってもらいました。

 

夫婦揃って治療ができることがウリのクリニック、

男性外来は私と同じ病院で月に数日だけ、他から医師を招いて行われていました。

 

 

結果は異常なし。

触診もエコーも精液所見も人工受精時とは見違えるほど向上。

そして、染色体検査もしたと。

 

 

夫としても、不妊の原因扱いされることに心底嫌気がさしていて、

男ができることは全部やってくれと医師にお願いしたんだそうです。 

 

私はびっくりしてしまって。

『染色体検査までやれなんて言ってない!』

…当然喧嘩になりました。

 

 

染色体検査は基本的に夫婦揃ってやるもので、保険適用外です。

事前に遺伝カウンセリングを受けることが望ましいとされています。

 

それは、染色体異常が見つかったとしても、根本的な治療法がないこと。

もしも異常があった場合には、保因者を伏せて開示してもらったり、

どちらかを特定しないことが良好な夫婦関係のためでもあること。

 

 

遺伝カウンセリングが端折られると思いませんでした。 

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私は現在も染色体検査は行っていません。

 

夫には染色体異常がないと分かっている以上、原因はあるとしたら私。

こんな思いをし続けることになるんです。

 

 

本当は医師に夫を止めてほしかったです。

本来夫婦で行うものだと伝えてほしかったです。

夫が頼み込んだのかもしれませんが、

その決意に苦しめられることになってしまったのです…。

 

 

辛い経験をしたひと、これから夫婦染色体検査を行いたいひとへ。

 

私は染色体検査を勧めません。

行ったとしても保因者は伏せてもらってください。

 

原因が分かっても、治療は出来ません。

 

流産するかもしれないけど妊娠を繰り返すか、

正常な受精卵が出来るまで頑張るしかありません。

 

治療のステップアップを検討する要素になる、くらいでしょうか。

 

 

夫婦の足並みが全く揃わない、不妊治療の始まりでした。

 

 

写真素材はフリー写真素材ぱくたそ様を利用しております

無理やり育てた卵で人工授精

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠は2回とも流産、

不妊治療に3年弱かけるも上手くいかず

子無しで生きていくと決めた夏祈(なつき)です。

 

最初の人工授精が失敗し、翌月治療を休んだら化学流産

初診から半年たってやっと2度目の人工授精に挑みました。

 

人工授精2回目


<2日目>

  • 初診

クロミッド錠…50mg
(夕食後1錠5日間)

 

<11日目>

  • 経膣エコー

内膜:4.8mm
卵胞:左右ともに10.1mm

 

卵胞発育不良、服薬無しで様子見しました。

この時点で断念しておくべきだったと後悔しかありません。

 

<16日目>

  • 経膣エコー

内膜:8.0mm
卵胞:左右とも7mm前後

(再投与)クロミッド錠…50mg
(夕食後1錠5日間)

 

卵胞は育っていないどころか小さくなっているのに、

クロミッド(同月内2度目は自費なのに)を貰った自分、

諦めなかった自分が頭おかしいとしか思えません。

もっと良い状態の周期にやるべきだったと思います…。

 

<24日目>

  • 経膣エコー・および尿検査(LH測定)

内膜:10.0mm
卵胞:左28.0mm

LH:1日前程度

 

大きすぎる卵胞に不安を覚えつつ、翌日の人工授精が決定。

エコーも同月内3回目は自費になってしまいます。

 

<25日目>

  • AIH当日

今回も自宅での採精。

予約の関係で4時間ほど経過してしまっていましたが、

  1. 精液量(1.5ml以上)
  2. 精子濃度(15.0×100万/ml以上)
  3. 運動率(40%以上)
  4. 総運動精子数(9.0×100万個以上)
  5. 奇形率(26%以下)

以上、前回とは打って変わって好成績、全ての項目で基準値内でした。

 

しかしながら、調整後はどういうわけか

総運動精子数が10.5×100万個まで減少し、基準値以下に。

それでも人工授精には問題ないと言われ実行。

 

内膜:10.0mm
卵胞:左27.0mm

 

HCG5000単位を筋肉注射して終了。

 

<30日目>

内膜:9.2mm

 

エコーで内膜が白っぽく映り(黄体期の兆候)、

左卵胞も潰れていて排卵無事済みでした。

今回は高温期が短いと感じていた為、黄体補充も行うことにしました。

 

ルトラール2mg

(朝食・夕食後1錠、7日間)

 

<42日目>

リセット。

 

今妊娠したら早生まれになっちゃうから良かった、なんて思いも。

心から愚かだと思います。

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強引に育てた卵胞では上手くいかなくて当然な気がします。

また大きすぎる卵胞も良くないということも知り、

検索魔になっていったのもこの頃です。

 

 

今振り返れば、冷静な判断が全くできていないと呆れるばかりです。

 

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※注意事項※

ブログ記載の基準値等は当時かつ私の手元の資料の値です

現状異なることがございますので、参考までにお願いいたします

最後の妊娠検査薬陽性反応

こんばんは。

流産2回後、夫がようやく不妊治療に同意、

3年ほどかけて治療するも1度も妊娠できずに終わった夏祈(なつき)です。

 

不妊治療というのは精神的にもとてもハードで、

初診から約3ヵ月間、最初の人工授精を終えただけで心が折れました。

精液所見不良で夫が男性外来にかかる事にもなっていて、

それも終えてからでいいや…

そんな軽い気持ちで、治療を休むことにしました。

 

それが幸か不幸か…

休んだ最初の月に化学流産したのです。

 

1度の失敗くらいでめげずに治療に通っていたら…

どうなっていたでしょうか…。

ま、後の祭りですが。

 

その月は苦痛に思いながらも基礎体温だけはつけ続けていました。

 

  • 22日目

明確な高温期に突入

 

  • 38日目

高温期のまま出血

 

  • 40日目

食欲不振、めまい

 

  • 41日目(タイミングから3週間)

妊娠検査薬陽性反応

 

  • 42日目

低温期へ移行

 

  • 46日目

少量の出血継続

 

体調不良で寝てばかりいて、出血はだらだらと続きました。

高温期のままでおかしいな、と思い出血中にも関わらず検査薬をしたことで

妊娠しかけていたことに気が付いてしまいました。

 

その上、不妊治療の初診は月経開始から5日目まで。

通院時期を逃してしまった事で、翌月も治療をお休みに。

 

化学流産は流産に含めませんが、

これが、私にとっては最後の陽性反応でした。

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そして、この間に行われた夫の男性外来での精液再検査。

(括弧内は基準値・当時の値になりますので参考までに)

 

  1. 精液量(1.5ml以上)
  2. 精子濃度(15.0×100万/ml以上)
  3. 運動率(40%以上)
  4. 総運動精子数(9.0×100万個以上)
  5. 奇形率(26%以下)

 

前回は運動率が25%、奇形率が38%でしたが、

運動率は55%、奇形率は28%までに回復。

触診等もすべて異常なし、という結果でした。

 

クルーガーテストなる精子を染色して奇形などを調べたりするのも、

紹介はありましたが、結局やりませんでした。

 

奇形精子症であることが分かったとしても、原因は多くが不明。

治療法予防法も確立されていない、とのこと。

生活習慣の改善、漢方や抗酸化作用のサプリメントを服用するくらい。

 

医師に異常がないと言われた以上、

夫にこれ以上の負担をかけてはいけない、と思い何も勧めませんでした。

 

私さえなんとかすればいい

自然妊娠もした、また化学流産もした、妊娠はできる。

まだまだ甘い考えのままでした。

 

自分が辿った感情の変化が書かれている本

 

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ショックなだけの人工授精

結婚11年目に突入した夏祈(なつき)です。

なかなか投稿ができないまま時間が過ぎてしまい、申し訳ありません。

 

私の不妊治療はこのブログ執筆を以て完結するつもりです。

これからしっかりと治療内容について書いていきますので、

どうぞよろしくお願いいたします。

 

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時は、2度目の流産後、

Aクリニックにて検査および治療を始めた結婚7年目に戻ります。

 

まとめてできたはずの検査が卵管造影のみ延期なり、

原因の甲状腺は精密検査するも結局異常なし、

夫は夫でクラミジア陽性と宣告され…

kodomo-inai.hateblo.jp

kodomo-inai.hateblo.jp

『最初から人工授精を希望します!』

高らかに宣言した私は物凄く恥をかきました。

 

それでも初診から2ヵ月で最初の人工授精決行となりました。

(影響はないということで、卵管造影と同じ周期です)

 

人工授精1回目

<7日目>

  • 初診

(強引に予約をねじこんだので遅めの初診です)

クロミッド錠…50mg
(夕食後1錠5日間)

 

<9日目・10日目>

  • 子宮卵管造影検査

 卵管詰まりなし、子宮形状等異常なし

抗生剤…トミロン錠
毎食後3日間

  • 経膣エコー

内膜:5.1mm
卵胞:左7.7mm、右13.7mm

 

<14日目>

  • 経膣エコーおよび尿検査(LH測定)

内膜:7.9mm
卵胞:右18.7mm

LH:2日以上先(反応出ず真っ白…)

LH=黄体化ホルモン

排卵前に急激に分泌されるため、排卵時期の予測に使用

明日の排卵はまずないという理由から、人工授精を16日目に行うと決定。

 

<16日目>

  • AIH当日

初回は自宅での採精となりました。

というのも、正直この頃は夫と今ほど仲が良くなく…喧嘩も良くしていました。

夫としては、妻がしつこいから治療に渋々応じたわけで、

自分でして容器に出す、ということに物凄く抵抗があるようでした。

 

早くに知っていたら、な…

 

Aクリニックでは採精から2時間以内にクリニックへ提出というルール。

禁欲期間は2~5日とされていました。

 

精液は調整して子宮内には0.5ml程度注入することになります。

提出から40分程度で精液の調整が終わり、培養士から精液所見の説明がありました。

 

クリニックによって検査項目は様々ですが、こちらのクリニックは以下の通り。

(括弧内は基準値・当時の値になりますので参考までに)

  1. 精液量(1.5ml以上)
  2. 精子濃度(15.0×100万/ml以上)
  3. 運動率(40%以上)
  4. 総運動精子数(9.0×100万個以上)
  5. 奇形率(26%以下)

 

結果は・・・

精子数的には充分だったのですが、

運動率が25%奇形率が38%ということで、

調整後は総運動精子数がたったの4.5×100万個まで減ってしまうことに。

 

精液は日々作られるため、

日によってかなり違いがある事は治療を通じて分かりましたが、

大分落ち込む結果で、男性外来も紹介されました。

 

たった1つの精子があればいい

頭では分かっていてもショックが大きかったです。

精子同士助け合うらしいですからね…数は多いに越したことは無い…。

 

人工授精の処置自体はいつもの内診台でものの10分程度。

特別安静の指示もありませんでした。

内膜:約9mm
卵胞:右20mm

 

HCG5000単位を筋肉注射(腕)して終了。

 

<24日目>

内膜:9.7mm

5分の診察のために1時間以上待ってて疲れました…。

 

TSH:3.16μIU/ml

卵管造影検査に油性の造影剤を使用した影響が出てきていました。

この日からチラーヂン25μgを1か月間服用。

 

(3週間後再診)

TSH:2.08μIU/ml

挙児希望は2.50以下が望ましいということで、

25μgを飲み終えてからチラーヂン12.5μgへ減薬し、経過観察。

 

<32日目>

何の手応えもなくリセット。

 

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出産したい気持ちがコロナで消えた理由

こんばんは。ご無沙汰しています、夏祈です。

 

ふと思い至ったことがあります。

 

それは、自分が出産したいと強く願っていたのに、

コロナが理由で簡単に諦められたことです。

 

心から夫の子供を産みたかったのなら、

自分の子供を見てみたかったのなら、

どんな治療にも耐えて、

出産できる日まで走り抜けられたのではないのか。

 

私の『産みたい』がエゴでしかなかったことを確信しました。

 

自己肯定感が低いばかりに、

私は夫に尊敬されたかったのだ、と。

 

私は夫の希望を無視して、立ち合い出産である事を物凄く望んでいました。

出産という大仕事を乗り越えた妻として認めて尊敬してほしかったのです。

 

よくあるような自分の子を産んでくれた妻に頭が上がらない、的な。

そういうのを望んでいたから、コロナで立ち合いが困難になった状況、

出産しても意味がない、そういう心理じゃあないかと。

身勝手な話ですね。

 

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南明奈さんの死産のニュースはとても驚いた。

普通に出産を迎えるだろうと勝手に考えてた。

 

気遣うコメントはいっぱいあったけれど、

ちょっと引っかかるものもあった。

 

また帰ってきてくれますよ、とか。

 

こういわれても、全く癒しにも慰めにもならないと思う。

生まれかわりを信じていないわけではないけど、

第1子は第1子でしかないよ、って言いたい。

次の子は次の子、第2子なんだよ、って。

 

 

私も当時は全然そんな風に思えてなかった。

 

よくある事だから気にしない!って言い聞かせて。

無かったことにしようとさえ思ってた。

ありがとうって思えていなかった。

 

来てくれた子供たちに向き合っていなかったから、

それを悟ってお空に帰っていったのかもしれない。

 

最低な母親だった。

後悔ばかりだ。

 

 

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これだ!って思える本に出会った

こんばんは。

不器用すぎて新生活にまだまだ順応しきれていない夏祈です。

ちっとも更新できないながらも、とある本に出会いました。

 

 

三色のキャラメル

不妊と向き合ったからこそわかったこと

 

サブタイトルにある通り、不妊を経験され、6年間の治療を経て

子どもの居ない人生を歩んでいる方の本です。

 

本の中程に書かれていた、永森さんのお母さんの言葉が、

私の実母がくれた言葉と同じで…視界が滲みました。

 

私が辿ってきた心の揺れが、全部、この本には書かれていました。

 

もう共感の嵐で、一気に読み。

 

 

子供への執着を手放せたのは…、私はコロナがあったから。

永森さんにとっては、愛猫や身近な人の死。

 

諦めがつくとき、何かにポンっと背中を押される感覚がある。

ただ、それを迎えるまでは、本当に辛くて仕方なかった。

 

流産だけで子供が持てないまま終わるなんてあり得ない。

自然妊娠したんだから、治療したら大丈夫でしょ?

 

 

健康でいられること、夫がいてくれること、

風雨をしのぐ家があって、着るものにも食べるものにも困らない。

どれだけの幸運の中にいるか、恵まれているか、

分かっているようで分からない状態だった。

 

 

結婚も10年になれば、周りもだんだん察してくれて、

新婚時の様に『子供は?』なんて聞かれなくもなってくる。

 

ただ。

出来なかった人って思われてるのは、ちょっと悔しい。

訳あって産めなかった子が2人います!

無事生まれていたら6歳と4歳の子供がいます!って言いたい。

 

 

良かったら、読んでみてください。

 

結果を掴んだ友人との違い

こんばんは。

結婚10年、自然妊娠は2回とも流産、

不妊治療も上手くいかなかった夏祈(なつき)です。

 

新生活の波に飲まれ、まだまだペースをつかめておりません。

更新ままならずすみません。

 

 

さて、私の母は膠原病です。

体調不良は私が高校生ころから続いていて、八つ当たりされたり、

病名が判明するまでは大変でした。

 

様々な病気を包括して膠原病と言われますが、母と同じ病気の友人がいます。

 

膠原病は絶対に妊娠出産できない病気ではありません。

ただ、減薬を行うにあたり、リスクや母体の負担につながります。

 

いつしか、友人から打ち明けられ、私の母もそうなんだと話しました。

 

そして、私はなかなか妊娠しないという話をし、

その友人は病気のこともあり妊娠出産については分からない、

そんな話もしていました。

 

 

子無しで生きていく仲間かもしれない。

私は都合よく思っていました。

 

友人とは年1、2回会う位の関係を保っていました。

他の友人たちと一緒に忘年会として冬に会うのが定番でした。

 

ある年、また来年もよろしくなんて別れ際…

『しばらく会えないかも』的な言葉を口にした友人。

 

周りの友人も私も、少しお酒も入っていたし、

『なんでそんな寂しいこと言うの~』なんて言ったりして。

 

それに明確な返答はせず、哀しい顔で笑っていた友人。

 

 

それから本当に会うことはありませんでした。

 

 

ある時、夏祈ちゃんには先に言っておきたい、とラインが届き、

もうすぐ出産であることを告げられました。

 

あの、哀しい表情は妊活への覚悟だったんだとこの時に思いました。

 

友人は私のことを物凄く考えて、伝えるタイミングを考えていてくれました。

 

他の誰かから出産を聞いて傷つけるくらいなら、

他の誰かよりも一番に、自分から伝えると決めて。

事後にしようか凄く迷った、とも。

 

私は逆に悩ませてしまって申し訳なく、

傷つくとかより心からおめでとうと、伝えました。

 

やはり出産後、母体の回復に時間がかかり入院が長引いたようですが、

今は子育てに奮闘しているのが、ラインのプロフィールから伝わってきます。

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女だから、って多少なり言われて生きてきたなって思います。

結婚したらいつか産むだろうってずっと思ってきていたから、

そうじゃなくなった時の寂しさは今もゼロにはなりません。

 

ただふわふわと流されて治療を始め、

楽観視していた私には友人のような覚悟がなかったし、

出産後に長く続いていく子育てをやり抜く覚悟も持てなかった。

それに尽きると思います。

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